エホバ神は、天での命という見込みをキリストの到来以降初めて差し伸べられました。実際は、エホバ神のご計画の中にイエス・キリストを中心とした天の政府というお考えは、エデンの園での悪魔サタンとアダムの反逆の後に、すぐに表明されています。(創世記3:15)
エホバ神はエデンの園での反逆以降、当初は、神の僕たちにこの地上でとこしえに住み続けるという希望を差し伸べられました。(詩編37:29新共同訳)それで、アブラハムなどは、自分の子孫によって、すなわち神の王国によって将来地上に復活して祝福を受けるという希望を抱いていました。(創世記3:15;22:17,18新共同訳)
それで、今回はイエス・キリストが到来して後、初めて、人類に天の政府に入るという見込みは差し伸べられたという点について説明したいと思います。
(1)旧約時代には天の神の国という概念はなかったか少なくとも強調されていなかった
人間が創造された最初からずっとあったのは、この地上で住み続けるという見込みでした。(詩編37:29新共同訳)「天の王国」すなわち、復活させられる霊者でなる「王国」という概念は、旧約時代の神の僕たちは持っていませんでした。(マタイ26:52)新約聖書のマタイによる書によると「天の王国」という言葉をイエスが初めて使っておられます。(マタイ5:19,20回復訳)
新共同訳の場合は、マタイによる書の中にだけ、32回、「天の国」という語が出てきます。さらに、「神の国」という語も、新共同訳では、新約聖書の中にだけに出てきて旧約聖書の中には見られません。
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ですから、天の「神の王国」、すなわち天の政府という概念は、旧約聖書時代にはなかったか、少なくとも強調されていなかったのです。
それで、一世紀のクリスチャンたちも最初は地上の王国すなわち、地上の政府のことしか頭にありませんでした。イエスの弟子たちは、イエスが、ご自分を王とする地上の王国を作って、支配を拡大すると考えていたのです。
使徒たちがイエスの復活後、イエスに対して、「主よ、あなたがイスラエルの王国を復興されるのは、この時ですか?」 と尋ねたことが記されています。(使徒1:6回復訳)
イエスの弟子たちは復活後のイエスがその時に地上に王国政府を作ると考えていた
それで、イエスの弟子たちは、イエスがこの地上に王国を復興すると考えていました。弟子たちは、復活したイエスが、地上でローマ帝国を倒して昔のソロモンの支配のような王国を復興すると考えていたのでしょう。
イエスの弟子たちはこの地上にイエスがソロモンの支配のような過去の栄華を取り戻すのかと考えたかもしれない
Kate Bunker
一世紀の弟子たちは、最初はイエスから「天の王国」という言葉を聞いていても、天の政府が作られるというような理解はなかったのです。
(2)イエスが登場して初めて天の神の王国に入るという機会が差し伸べられた
イエスは、バプテスマのヨハネが神の王国に入らないと言われました。イエスは、「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」と述べられています。 (ルカ7:28新共同訳)
イエスはバプテスマのヨハネが偉大な人ではあるが神の王国には入らないと言われた
ですから、バプテスマのヨハネが「大いなる者」であることを認められましたが、神の国の成員は「洗礼者のヨハネ」よりは偉大だと言われました。(ルカ7:20新共同訳)すなわち、バプテスマのヨハネは、神の王国の成員とならないと言われました。
ですから、キリストが到来した後に、初めて「神の王国」に入る機会が差し伸べられました。すなわち、天の神の王国という概念は、キリストが初めてはっきりと差し伸べた希望だったのです。
イエス・キリストは初めて人間に天の王国に入る機会を差し伸べた
さらに、わたしたちはノアやアブラハムやヨブやダニエルは偉大な人だと思うかもしれませんが、イエスの言葉によると、彼らよりもバプテスマのヨハネの方が「偉大な者」です。(ルカ7:28新共同訳)
バプテスマのヨハネの方がアブラハムより偉大なので彼は神の国の成員とはならない
その当時人類史上最も「偉大な者」であるバプテスマのヨハネが「神の王国」の成員とはならないのですから、立派な信仰の人々であってもキリスト以前の神の僕たちは誰も、神の王国には入らないのです。
ですから、聖書は神の義の基準に従う努力をする信仰を持つ正しい人々が必ずしも、皆天に行くとは言っていません。エゼキエル書では、ノアやヨブやダニエルが「正しい」者であることを認めています。(エゼキエル14:14新共同訳)それでも、過去の義人であった信仰の人々も天には行かないのです。
いずれにしても、イエスが到来する前のすべての神の僕が抱いていた希望は、天の神の王国に入るという機会ではなく、将来復活してこの地で永遠に住み続けるという希望だけです。しかしながら、神がキリスト以前の神の僕に差し伸べられていた希望もすばらしい希望です。
(3)囲いの中の小さな群れの羊と他の羊
それで、イエスが到来して初めて、信仰の人々に神の王国に入るという希望が差し伸べられました。イエスは、天であれ、地上であれ、信仰の人々を羊と呼んでいます。そして、イエスは、神の王国に入るという希望を持つクリスチャンのグループを「小さな群れ」と呼んでいます。(ルカ12:32回復訳・新共同訳)それは、神の王国に入るという希望は、人類の大多数からすれば、少数派だからです。
囲いの中にいる神の王国の希望を持つ小さな群れの羊がいる
そして、「囲い」の中の小さな群れの羊ではない、別のグループである「他の羊」、もしくは「ほかの羊」たちがいます。(ヨハネ10:16回復訳・新共同訳)すなわち、「ほかの羊」たちには、この地上で永遠に生き続けるという希望が与えられます。
地上で生きる希望の囲いの中にいない他の羊が存在する
そして、「小さな群れ」の羊たちは、「他の羊」のグループから支援を得ます。そして、この地上での歩みを終えた後、神の王国に入り、天から地上を支配して、地上に存在する「他の羊」たちを援助します。
(4)キリストの主の記念式に出席してキリストの贖いに感謝を示すことができる
キリストの死の記念式が近づいています。2019年のキリストの死の記念式は、4月19日(金)の日没後になっています。
神の王国に入る希望が神から与えられていると考えるクリスチャンたちは、イエスの体を表すパンとイエスの血を表すぶどう酒の表象物にあずかり、自分たちがその希望を持っていることを表明することが求められます。(ルカ22:19。一コリント11:24,25回復訳・新共同訳)
神の王国に入る希望が与えられたクリスチャンはパンとぶどう酒にあずかります
一方、自分が神から与えられている希望はこの地でとこしえに住み続けるという希望であると考えるクリスチャンたちは、神の王国に入る希望を持つクリスチャンたちが表象物にあずかるのを見守ることができます。そのようにして、地的な希望のクリスチャンたちも、贖いの犠牲に対する感謝を表明することができます。
「回復訳」は、JGW日本福音書房より発行されています